代表プロフィール

関わり方ひとつで他人は変えられる。

夢の実現をサポートする演出家でありたい。

テムスト森 代表 森哲也

関わり方ひとつで他人は変えられる。夢の実現をサポートする演出家でありたい。

テムスト森 代表 森哲也

HISTORY

01. 表舞台を支える仕事のきっかけは、テニス部OB会

中学生のころ、親からは地元の実業高校に行きなさい。そして、高校を卒業したら地元の役場か郵便局に就職。
当時はそれが、農家に生まれた長男に敷かれたレールかの如く言われていました。ところが、私はその期待を裏切り、進学校に入学。そして当然のごとく、大学進学へ。親からは、高校を進学校に行かせたことがそもそもの誤りだったと。大学は名古屋にある私立「南山大学」に入学。経済学部でしたが、テニス学部と思われるほどテニス漬けの日々でした。3年生の時には幹部の役割りの一つで主務(テニスコート外の業務全般)となり、一方で大学運営に携わる体育会の執行部にも加わっていました。当時うちの大学には文化会がなかったんです。だから実質「体育会執行部」が大学の運営(大学対抗試合等)を仕切っていました。

私が所属していた(硬式)テニス部は、体育会一の大所帯であり、最も歴史のある部活動の一つで、大学の歴史イコールテニス部の歴史と言っても過言ではないと思います。 そんな伝統のある部活にもかかわらず、組織化されておらず、毎年開催されていたOB会は大学祭の開催中である11/3と決まっていましたから、特に広報活動もなく、OB会名簿一つない有様でした。そこで、大学の同窓会館に入り浸って、年代ごとの卒業生名簿をくまなくチェック(所属していた部活動も記載されていた)し、概ね2ヵ月程度で完成。個人情報保護が「まだ緩い時代」だからこそ作成できました。

この完成により、次年度からはOB会報として、OB会の案内のみならず、現役生たちの公式試合結果の報告等もできるようになり、やっと線で繋がった気がしました。そして一番の成果は、OBの方からの会費徴収のルートが出来たことでした。現役世代にとっては貴重な収入源となり、遠征試合や合宿の費用に充てることが可能になりました。また、歴代OBが10年毎に集まる「OB総会」が開催できるようになり、今でも集まると「今のOB会があるのはお前のおかげだ!」と今でも先輩方が言ってくれるのは嬉しいです。テニスでの表立った「戦績」は上げられませんでしたが、一体感のある組織づくりができたのはとても良い経験になりました。

   

01. 表舞台を支える仕事のきっかけは、テニス部OB会

中学生のころ、親からは地元の実業高校に行きなさい。そして、高校を卒業したら地元の役場か郵便局に就職。
当時はそれが、農家に生まれた長男に敷かれたレールかの如く言われていました。ところが、私はその期待を裏切り、進学校に入学。そして当然のごとく、大学進学へ。親からは、高校を進学校に行かせたことがそもそもの誤りだったと。大学は名古屋にある私立「南山大学」に入学。経済学部でしたが、テニス学部と思われるほどテニス漬けの日々でした。3年生の時には幹部の役割りの一つで主務(テニスコート外の業務全般)となり、一方で大学運営に携わる体育会の執行部にも加わっていました。当時うちの大学には文化会がなかったんです。だから実質「体育会執行部」が大学の運営(大学対抗試合等)を仕切っていました。

私が所属していた(硬式)テニス部は、体育会一の大所帯であり、最も歴史のある部活動の一つで、大学の歴史イコールテニス部の歴史と言っても過言ではないと思います。 そんな伝統のある部活にもかかわらず、組織化されておらず、毎年開催されていたOB会は大学祭の開催中である11/3と決まっていましたから、特に広報活動もなく、OB会名簿一つない有様でした。そこで、大学の同窓会館に入り浸って、年代ごとの卒業生名簿をくまなくチェック(所属していた部活動も記載されていた)し、概ね2ヵ月程度で完成。個人情報保護が「まだ緩い時代」だからこそ作成できました。

この完成により、次年度からはOB会報として、OB会の案内のみならず、現役生たちの公式試合結果の報告等もできるようになり、やっと線で繋がった気がしました。そして一番の成果は、OBの方からの会費徴収のルートが出来たことでした。現役世代にとっては貴重な収入源となり、遠征試合や合宿の費用に充てることが可能になりました。また、歴代OBが10年毎に集まる「OB総会」が開催できるようになり、今でも集まると「今のOB会があるのはお前のおかげだ!」と今でも先輩方が言ってくれるのは嬉しいです。テニスでの表立った「戦績」は上げられませんでしたが、一体感のある組織づくりができたのはとても良い経験になりました。

ここまで
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02. 10年間で、社内転職3回

両親は、ともに地元の製造業に勤務。どちらも毎日が判で押したように典型的な8時から5時勤務の会社で、夕方5時半には家に帰っている。朝ごはんと夕ごはんは必ず家族全員で食べるのが当たり前でした。そんな家庭で育った私が入社したのは、当時「不夜城」と呼ばれたリクルートです。親からは「いつも何時ごろ帰ってるの?」と聞かれて「夜9時か10時ぐらいかなぁ」と答えると、「そんな会社が世の中にあるはずがない。」5時に終わって変えるのが当たり前の生活をしてきた二人にとっては、当然ですよ。

最初の三年間は、「営業」でした。若造が、「広告のプロ」のような顔で、お客様を説得の仕事。最初の1年は、周囲の助けを得て、キャンペーンで表彰されるような成績を残す事もあったんですが、2年目になると周囲の期待は「独り立ち」。自分が如何に周囲に支えて頂いていたのかを思い知らされました。ずーっと、目標未達成が続く日々でした。

そんな中でもひとつだけ思い出に残るエピソードがありました。担当していた愛知県にある「モノづくり」企業様から、学生の認知度を高める方策を検討して欲しいというご依頼を頂き、丁度世の中的にもCIの見直しが盛んだったこともあり、「社名変更」の提案をさせてもらいました。漢字ばかりの現社名から、一気にアルファベットのみの社名を提案させて頂きました。「現状打破の意味」も込めて、「EXPANSION」を社名に盛り込んだところ、見事採用され、当社が発行する求人誌に世界で初めて、新社名が掲載されました。なんと、会社ロゴもまだ決まってない段階の出来事です。技術者採用専門の求人誌に、デカデカと社名が印刷されているのを見た時、手が震えたのを今でも覚えています。当然、今でもその看板やロゴを見かける度に当時のことを思い出します。

その後、通信の事業部に異動。これまで「紙媒体」を中心とした広告会社としても新分野でした。この事業部では、何かと上司と衝突することも多く、口を開けば「異動希望」の日々でした。念願叶って、新天地に異動。既存の「紙媒体」の市販情報誌の販売促進部門に転職です。自分は無から有を作り出す(営業)よりも、あるものを工夫して売る方が「自分らしい」と気づいたのがこの異動でした。

こんなイベントを企画したこともありました。新刊アルバイト情報誌の販売促進活動の一環として、多くの大学が立ち並ぶお茶の水駅前にある書店さんのイベントスペースをお借りして、当社が保有するレーシングカーとレースクイーンを呼んで、集客そして販売促進。結果は学生の山が築かれ、動きが取れないほどの盛況ぶりでした。 今あるものをどう使えばもっと効果を高められるかを考える面白さは、今の仕事にも通じる部分があるなと思います。

   

02. 10年間で、社内転職3回

両親は、ともに地元の製造業に勤務。どちらも毎日が判で押したように典型的な8時から5時勤務の会社で、夕方5時半には家に帰っている。朝ごはんと夕ごはんは必ず家族全員で食べるのが当たり前でした。そんな家庭で育った私が入社したのは、当時「不夜城」と呼ばれたリクルートです。親からは「いつも何時ごろ帰ってるの?」と聞かれて「夜9時か10時ぐらいかなぁ」と答えると、「そんな会社が世の中にあるはずがない。」5時に終わって変えるのが当たり前の生活をしてきた二人にとっては、当然ですよ。

最初の三年間は、「営業」でした。若造が、「広告のプロ」のような顔で、お客様を説得の仕事。最初の1年は、周囲の助けを得て、キャンペーンで表彰されるような成績を残す事もあったんですが、2年目になると周囲の期待は「独り立ち」。自分が如何に周囲に支えて頂いていたのかを思い知らされました。ずーっと、目標未達成が続く日々でした。

そんな中でもひとつだけ思い出に残るエピソードがありました。担当していた愛知県にある「モノづくり」企業様から、学生の認知度を高める方策を検討して欲しいというご依頼を頂き、丁度世の中的にもCIの見直しが盛んだったこともあり、「社名変更」の提案をさせてもらいました。漢字ばかりの現社名から、一気にアルファベットのみの社名を提案させて頂きました。「現状打破の意味」も込めて、「EXPANSION」を社名に盛り込んだところ、見事採用され、当社が発行する求人誌に世界で初めて、新社名が掲載されました。なんと、会社ロゴもまだ決まってない段階の出来事です。技術者採用専門の求人誌に、デカデカと社名が印刷されているのを見た時、手が震えたのを今でも覚えています。当然、今でもその看板やロゴを見かける度に当時のことを思い出します。

その後、通信の事業部に異動。これまで「紙媒体」を中心とした広告会社としても新分野でした。この事業部では、何かと上司と衝突することも多く、口を開けば「異動希望」の日々でした。念願叶って、新天地に異動。既存の「紙媒体」の市販情報誌の販売促進部門に転職です。自分は無から有を作り出す(営業)よりも、あるものを工夫して売る方が「自分らしい」と気づいたのがこの異動でした。

こんなイベントを企画したこともありました。新刊アルバイト情報誌の販売促進活動の一環として、多くの大学が立ち並ぶお茶の水駅前にある書店さんのイベントスペースをお借りして、当社が保有するレーシングカーとレースクイーンを呼んで、集客そして販売促進。結果は学生の山が築かれ、動きが取れないほどの盛況ぶりでした。 今あるものをどう使えばもっと効果を高められるかを考える面白さは、今の仕事にも通じる部分があるなと思います。

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03. 地元企業へ転職、企業改革へ

9年目、ふと考えたんです。このままこの会社、あるいはここ東京にいるのかと。得体のしれないベンチャー企業として入社したこの会社もいつの間にかグループ会社を入れて従業員約10倍規模になっており、今では上場企業の仲間入り。そんな会社の中でのポストも見えてきたわけです。

自身の環境を振返ると、長男の保育園入園、岐阜にいる親父の定年、丸10年勤続。節目として銀座勤務に終止符を打ち、地元岐阜に帰ることにしました。当時、運良くリクルート岐阜営業所の所長が私の同期だったので、「俺をやとってくれる、おもしろそうな会社ある?」と相談したところ、数社紹介してもらい、その内の1社が、株式会社東伸(トーシン)でした。東伸は産業機械のメーカーで、創業50年の歴史があり、従業員60名ほどの地元大垣の企業です。「紙と鉛筆の会社」リクルートから「鉄の会社」東伸への正に大転身でした。

入社して営業企画の仕事を任されました。表舞台の営業マンが動きやすくなるための仕組みづくりの仕事です。最初に取り組んだのが、顧客のデータベース作りです。それまで、個人の「記憶」に頼っていた納入実績をシステム化させていくことです。既に、設計・製造部門では、各機械ごとに設計図面と言う形で管理されていたものを応用し、顧客情報と結び付け、「記憶」「勘」に頼らない仕組みを構築しました。あれから20年以上経過していますが、その仕組みは今でも続いているようです。

その後、品質保証室を任された時も仕組みづくりからスタート。完成した機械の具体的な検査基準及び検査方法を明確にし、誰でも判る検査体制を築き、「工程内で品質を作り込む仕掛け」が出来ていきました。やはり、従業員規模と仕組みは比例するのかと実感した次第です。次は、総務部門に異動です。採用・教育の責任者を任された時には、まずは「成長・育成」、二番目に「安定・定着」、そして最後に「採用」この順番が一番会社を強くすると気づき、そのために社内の教育体制を整え、社員が育つ仕組みを整えていきました。その結果、大卒の社員を増やすための「リクルーター」「ブラザー制度」など組織の改革に取り組んでいきました。ここでも仕組みづくりです。社員が成長・育成されることで、社員は定着し、会社は成長する。要は人づくりです。

また、こんな大改革も断行しました。 新工場移転の際に、「机の引き出し無し」です。 新工場建設委員の責任者となり、様々な取り組みをした中で、社員の一番の驚きがこれでした。 「机と引き出し」は通常セットであり、「引き出し無し」は想像もつかなかったのでしょう。何度も伝えていましたが、いざ引っ越してみると、本当に新品の机に引き出しが無い為に、自分の所有物をどうしたらいいのかと、不満続出でした。 でもそれは、「慣れ」のせい。書類を手元で持つ「保管」、手元ではないけど一定期間残す「保存」、役目を果たしたら焼却する「廃棄」この仕組みを作ることで、どんどん書類が整理され、事務所内のファイルどころか「キャビネット(保管棚)」が、悉く撤去されていきました。 今でこそ、壁面は全面「ホワイトボード」と化し、資料棚は皆無(クラウド化)されましたが、当時は、全員を敵に回した感じでしたね。

   

03. 地元企業へ転職、企業改革へ

9年目、ふと考えたんです。このままこの会社、あるいはここ東京にいるのかと。得体のしれないベンチャー企業として入社したこの会社もいつの間にかグループ会社を入れて従業員約10倍規模になっており、今では上場企業の仲間入り。そんな会社の中でのポストも見えてきたわけです。

自身の環境を振返ると、長男の保育園入園、岐阜にいる親父の定年、丸10年勤続。節目として銀座勤務に終止符を打ち、地元岐阜に帰ることにしました。当時、運良くリクルート岐阜営業所の所長が私の同期だったので、「俺をやとってくれる、おもしろそうな会社ある?」と相談したところ、数社紹介してもらい、その内の1社が、株式会社東伸(トーシン)でした。東伸は産業機械のメーカーで、創業50年の歴史があり、従業員60名ほどの地元大垣の企業です。「紙と鉛筆の会社」リクルートから「鉄の会社」東伸への正に大転身でした。

入社して営業企画の仕事を任されました。表舞台の営業マンが動きやすくなるための仕組みづくりの仕事です。最初に取り組んだのが、顧客のデータベース作りです。それまで、個人の「記憶」に頼っていた納入実績をシステム化させていくことです。既に、設計・製造部門では、各機械ごとに設計図面と言う形で管理されていたものを応用し、顧客情報と結び付け、「記憶」「勘」に頼らない仕組みを構築しました。あれから20年以上経過していますが、その仕組みは今でも続いているようです。

その後、品質保証室を任された時も仕組みづくりからスタート。完成した機械の具体的な検査基準及び検査方法を明確にし、誰でも判る検査体制を築き、「工程内で品質を作り込む仕掛け」が出来ていきました。やはり、従業員規模と仕組みは比例するのかと実感した次第です。次は、総務部門に異動です。採用・教育の責任者を任された時には、まずは「成長・育成」、二番目に「安定・定着」、そして最後に「採用」この順番が一番会社を強くすると気づき、そのために社内の教育体制を整え、社員が育つ仕組みを整えていきました。その結果、大卒の社員を増やすための「リクルーター」「ブラザー制度」など組織の改革に取り組んでいきました。ここでも仕組みづくりです。社員が成長・育成されることで、社員は定着し、会社は成長する。要は人づくりです。

また、こんな大改革も断行しました。 新工場移転の際に、「机の引き出し無し」です。 新工場建設委員の責任者となり、様々な取り組みをした中で、社員の一番の驚きがこれでした。 「机と引き出し」は通常セットであり、「引き出し無し」は想像もつかなかったのでしょう。何度も伝えていましたが、いざ引っ越してみると、本当に新品の机に引き出しが無い為に、自分の所有物をどうしたらいいのかと、不満続出でした。 でもそれは、「慣れ」のせい。書類を手元で持つ「保管」、手元ではないけど一定期間残す「保存」、役目を果たしたら焼却する「廃棄」この仕組みを作ることで、どんどん書類が整理され、事務所内のファイルどころか「キャビネット(保管棚)」が、悉く撤去されていきました。 今でこそ、壁面は全面「ホワイトボード」と化し、資料棚は皆無(クラウド化)されましたが、当時は、全員を敵に回した感じでしたね。

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04. コンサルタントとして、人を笑顔にしたい

転機が訪れたのは2003年、株式会社東伸に入社して、10年目のことです。

偶然新卒採用の営業に来社した広告代理店の営業マン。彼とは付き合いは東伸入社以来でしたが、久しぶりと言うこともあり、名刺交換。そこには「キャリアコンサルタント」という聞きなれない資格名称が記載されていました。これが新たな運命の始まりです。新卒採用の話はそっちのけで、その資格に興味津々の私は、内容・研修受講費用・受講期間・難易度等々根掘り葉掘り。帰られてからは、ネットでも深掘り。実は彼とは過去も幾度も名刺交換しており、その全てに同様の資格名が記載されていたのに気づいていなかったわけです。そして、トップに直談判。「若者を元気にするするキャリアコンサルタント」になりたい、と。 「何言い始めたんだコイツは?」と、怪訝そうな顔をされるも翌日には、GOサインをもらい、資格取得に向けての通信・通学授業の受講を経て、筆記試験とロールプレイイング試験。受講開始から半年程度かかりましたが、無事取得。 資格取得したての頃は、月2回程度学生、社会人を問わずさまざまな人に向けて講演会をしたり、大手企業の「なりすまし」一次面接官(新卒採用時の最初の面接官)を担当したりしました。

面接官のモットーとして、「絶対に相手を笑顔にして帰すぞ」ということ。その会社の基準に沿って面接するも、残念ながら基準に満たない方も散見され、その方々には、自分なりに気づいた改善点をアドバイスしたことを覚えています。その後、社会人対象の研修講師の資格を複数取得することで、研修・講習会頻度を増やすことが出来るようになってきました。

そして、2007年、関連会社テムスト株式会社キャリア教育事業部を正式に立ち上げ(企業内起業)に至りました。そんな時、株式会社武蔵野の小山昇社長との出会いがありました。 たまたま当社を訪問された小山社長から、自身が開催されている「経営者」「幹部」を対象とした塾のプログラムの一部に、私が講師の資格取得した講座(MQ戦略ゲーム)を開催しており、「(講師を)やってみないか」とお声掛け頂き、その時以来、独立した今でも務めさせて頂いております。

そして、更なる転機が訪れたのが、2014年です。 起業したとはいえ、「株式会社東伸からの出向」の身で、受講した「そうじ道」の講習会をきっかけにそうじ協会の理事長から「そうじ大賞」に参加されませんかと、お声掛けを頂き、会社(株式会社東伸)が行ってきた工場現場での「5S」「カイゼン」、事務所での「ファイリングシステム」等に取り組んできた実績を、100社を超える企業エントリーがあった中で発表し、予選を通過したばかりでなく、東京開催の本選にも出場し、代表とともに、プレゼン。最終的に「大賞」・「文部科学大臣賞」のダブル受賞という最高の結果を得ることが出来ました。受賞インタビューの際、代表が「これまでで、一番うれしい受賞です」の言葉が、とても印象に残っています。「掃除(環境整備と呼んでいました)は会社の文化」としてきたことが、この受賞に繋がりましたが、のみならず、「社員にとって、働きやすいい環境(仕組み)創り」への取組みが、実を結んだと考えています。

会社の幹部として、「モノが(滞留することなく)流れる仕組み」創りが働きやすさを生み、結果として、会社の利益をもたらすことに繋がるんですね。テムストとして、これまでは、主に研修講師としての活動が多かったわけですが、この掃除大賞の受賞がキッカケで、「現場カイゼンコンサルタント」としての活動が加わったイベントでした。例えば、研修で最もご利用頂いているのが身近な教材であるレゴブロックを使用する通称レゴ研修と呼んでいる「生産性向上研修」は、モノづくりを通じて「効率」「品質」を体感頂く研修ですが、目的は先ほどの「モノが流れる仕組み」創りであり、手段として環境整備を中心とした5Sだったり、動作経済の原則、4Mを学んでもらっています。但し原点は、環境整備。いわゆる掃除なんです。でもこの掃除は、それ自体を目的にしてしまうと、いやになるんです。直ぐ、飽きるんです。掃除は、あくまで「手段」なんですね。多くの会社が、ここで間違うんですね。「目的」と「手段」のはき違えで、会社の成長の機会を失うことがあります。

研修受講イコール明日から即実践なんて、よく聞く話です。レゴ研修を実施する上で、「そうじ大賞」の受賞は、これから5Sやカイゼン活動を進めようとする企業にとって、取り組みの進め方、導入の仕方といった「手段」のみならず、「会社をどうしたいのか」「あるべき姿(経営理念)はなんなのか」といった「目的」を確認する場となりました。 会社にはその会社毎の文化があります。その文化は、急には変われません。やみくもに「手段」に手を染めると、進むべき一歩が間違ってしまうんです。

   

04. コンサルタントとして、人を笑顔にしたい

転機が訪れたのは2003年、株式会社東伸に入社して、10年目のことです。

偶然新卒採用の営業に来社した広告代理店の営業マン。彼とは付き合いは東伸入社以来でしたが、久しぶりと言うこともあり、名刺交換。そこには「キャリアコンサルタント」という聞きなれない資格名称が記載されていました。これが新たな運命の始まりです。新卒採用の話はそっちのけで、その資格に興味津々の私は、内容・研修受講費用・受講期間・難易度等々根掘り葉掘り。帰られてからは、ネットでも深掘り。実は彼とは過去も幾度も名刺交換しており、その全てに同様の資格名が記載されていたのに気づいていなかったわけです。そして、トップに直談判。「若者を元気にするするキャリアコンサルタント」になりたい、と。 「何言い始めたんだコイツは?」と、怪訝そうな顔をされるも翌日には、GOサインをもらい、資格取得に向けての通信・通学授業の受講を経て、筆記試験とロールプレイイング試験。受講開始から半年程度かかりましたが、無事取得。 資格取得したての頃は、月2回程度学生、社会人を問わずさまざまな人に向けて講演会をしたり、大手企業の「なりすまし」一次面接官(新卒採用時の最初の面接官)を担当したりしました。

面接官のモットーとして、「絶対に相手を笑顔にして帰すぞ」ということ。その会社の基準に沿って面接するも、残念ながら基準に満たない方も散見され、その方々には、自分なりに気づいた改善点をアドバイスしたことを覚えています。その後、社会人対象の研修講師の資格を複数取得することで、研修・講習会頻度を増やすことが出来るようになってきました。

そして、2007年、関連会社テムスト株式会社キャリア教育事業部を正式に立ち上げ(企業内起業)に至りました。そんな時、株式会社武蔵野の小山昇社長との出会いがありました。 たまたま当社を訪問された小山社長から、自身が開催されている「経営者」「幹部」を対象とした塾のプログラムの一部に、私が講師の資格取得した講座(MQ戦略ゲーム)を開催しており、「(講師を)やってみないか」とお声掛け頂き、その時以来、独立した今でも務めさせて頂いております。

そして、更なる転機が訪れたのが、2014年です。 起業したとはいえ、「株式会社東伸からの出向」の身で、受講した「そうじ道」の講習会をきっかけにそうじ協会の理事長から「そうじ大賞」に参加されませんかと、お声掛けを頂き、会社(株式会社東伸)が行ってきた工場現場での「5S」「カイゼン」、事務所での「ファイリングシステム」等に取り組んできた実績を、100社を超える企業エントリーがあった中で発表し、予選を通過したばかりでなく、東京開催の本選にも出場し、代表とともに、プレゼン。最終的に「大賞」・「文部科学大臣賞」のダブル受賞という最高の結果を得ることが出来ました。受賞インタビューの際、代表が「これまでで、一番うれしい受賞です」の言葉が、とても印象に残っています。「掃除(環境整備と呼んでいました)は会社の文化」としてきたことが、この受賞に繋がりましたが、のみならず、「社員にとって、働きやすいい環境(仕組み)創り」への取組みが、実を結んだと考えています。

会社の幹部として、「モノが(滞留することなく)流れる仕組み」創りが働きやすさを生み、結果として、会社の利益をもたらすことに繋がるんですね。テムストとして、これまでは、主に研修講師としての活動が多かったわけですが、この掃除大賞の受賞がキッカケで、「現場カイゼンコンサルタント」としての活動が加わったイベントでした。例えば、研修で最もご利用頂いているのが身近な教材であるレゴブロックを使用する通称レゴ研修と呼んでいる「生産性向上研修」は、モノづくりを通じて「効率」「品質」を体感頂く研修ですが、目的は先ほどの「モノが流れる仕組み」創りであり、手段として環境整備を中心とした5Sだったり、動作経済の原則、4Mを学んでもらっています。但し原点は、環境整備。いわゆる掃除なんです。でもこの掃除は、それ自体を目的にしてしまうと、いやになるんです。直ぐ、飽きるんです。掃除は、あくまで「手段」なんですね。多くの会社が、ここで間違うんですね。「目的」と「手段」のはき違えで、会社の成長の機会を失うことがあります。

研修受講イコール明日から即実践なんて、よく聞く話です。レゴ研修を実施する上で、「そうじ大賞」の受賞は、これから5Sやカイゼン活動を進めようとする企業にとって、取り組みの進め方、導入の仕方といった「手段」のみならず、「会社をどうしたいのか」「あるべき姿(経営理念)はなんなのか」といった「目的」を確認する場となりました。 会社にはその会社毎の文化があります。その文化は、急には変われません。やみくもに「手段」に手を染めると、進むべき一歩が間違ってしまうんです。

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05. 「個」育て支援企業として

会社の文化に合わせて、会社には「部署」という名の「組織」があります。そこには、「部長」「課長」といった肩書を持つ「管理職」が中心となった「組織文化」が、存在します。更には、その組織には、構成メンバーである「個人」がおり、組織とは個人の集合体になっています。最近の調査で、強い会社の共通点は、強い組織で構成されており、強い組織には、「個々人」の力が惜しみなく発揮される環境があり、活かされているということがわかってきています。

短所は「見つかる」長所は「見つける」なんていいますが、長所を「見つけ」伸ばすことが、どれだけ個人にとっても組織にとってもプラスになるかは、明らかです。幹部の仕事は、部下の個性を伸ばしてあげる環境づくりに他なりません。「なんで、あいつは・・・」の前に、「あいつのここいいよね」の美点凝視の視点作りかと。風通しのいい組織には、「自分のことを良くわかっている幹部がいる」が、共通点だと思います。自分が出来ない部分を部下に補ってもらう力というか、自分をさらけ出しているため、お互いが助け合うことが自然にできる関係が成り立っているんです。だから、成果も上がり易い。

「自分がわかる」ということは、「他人を認める」ことに繋がります。部下にとって、仕事がやり易いかどうかの判定基準は、人間関係それも多くは「上司との人間関係」なんです。自分を分かっている上司は肩ひじ張らず、部下に対しても自分の弱いところをオープンにできますので、組織にもそんな雰囲気が伝わり、皆がオープンな関係になっています。 例えば、生産性向上研修(通称:レゴ研修)では、モノづくりを通して、組織のあり方や仕事のやり方を見直す体験型研修ですが、とかく幹部の参加者の方には、「仕事のやり方」よりも「会社や組織のあり方」について話をすることが多いです。

会社としての立場は「幹部」という役割の為、必要なことです。但し、「幹部」だからと言って、全てにおいて部下よりも秀でているわけではありません。組織を構成する「個々」に「得手」「不得手」があり、それを理解したうえで、相互に補い合えればいいわけです。会社によって、文化が違えば、歴史も違い、構成員が違うわけですから、それぞれに応じて、どう動いていくのがいいのかを一緒に考えて行ける環境をつくるようにするキッカケ創りを心がけています。

現場のカイゼンには5Sが基本。そんなことは、誰もが知っています。でも、その5Sが継続できる会社と継続できない会社があります。継続できる会社は「同じ方向にベクトルが向き」継続できない会社は「ベクトルが、バラバラ」。それは、会社によって、条件が違うからです。そこを理解したうえで、研修を行うことで、成果が大きく変わってきます。会社と言う「個」、組織と言う「個」、個人という「個」それぞれが違う「個」であることの認識が如何に大切であるかが、研修を重ねる毎に、深まってきています。

   

05. 「個」育て支援企業として

会社の文化に合わせて、会社には「部署」という名の「組織」があります。そこには、「部長」「課長」といった肩書を持つ「管理職」が中心となった「組織文化」が、存在します。更には、その組織には、構成メンバーである「個人」がおり、組織とは個人の集合体になっています。最近の調査で、強い会社の共通点は、強い組織で構成されており、強い組織には、「個々人」の力が惜しみなく発揮される環境があり、活かされているということがわかってきています。

短所は「見つかる」長所は「見つける」なんていいますが、長所を「見つけ」伸ばすことが、どれだけ個人にとっても組織にとってもプラスになるかは、明らかです。幹部の仕事は、部下の個性を伸ばしてあげる環境づくりに他なりません。「なんで、あいつは・・・」の前に、「あいつのここいいよね」の美点凝視の視点作りかと。風通しのいい組織には、「自分のことを良くわかっている幹部がいる」が、共通点だと思います。自分が出来ない部分を部下に補ってもらう力というか、自分をさらけ出しているため、お互いが助け合うことが自然にできる関係が成り立っているんです。だから、成果も上がり易い。

「自分がわかる」ということは、「他人を認める」ことに繋がります。部下にとって、仕事がやり易いかどうかの判定基準は、人間関係それも多くは「上司との人間関係」なんです。自分を分かっている上司は肩ひじ張らず、部下に対しても自分の弱いところをオープンにできますので、組織にもそんな雰囲気が伝わり、皆がオープンな関係になっています。 例えば、生産性向上研修(通称:レゴ研修)では、モノづくりを通して、組織のあり方や仕事のやり方を見直す体験型研修ですが、とかく幹部の参加者の方には、「仕事のやり方」よりも「会社や組織のあり方」について話をすることが多いです。

会社としての立場は「幹部」という役割の為、必要なことです。但し、「幹部」だからと言って、全てにおいて部下よりも秀でているわけではありません。組織を構成する「個々」に「得手」「不得手」があり、それを理解したうえで、相互に補い合えればいいわけです。会社によって、文化が違えば、歴史も違い、構成員が違うわけですから、それぞれに応じて、どう動いていくのがいいのかを一緒に考えて行ける環境をつくるようにするキッカケ創りを心がけています。

現場のカイゼンには5Sが基本。そんなことは、誰もが知っています。でも、その5Sが継続できる会社と継続できない会社があります。継続できる会社は「同じ方向にベクトルが向き」継続できない会社は「ベクトルが、バラバラ」。それは、会社によって、条件が違うからです。そこを理解したうえで、研修を行うことで、成果が大きく変わってきます。会社と言う「個」、組織と言う「個」、個人という「個」それぞれが違う「個」であることの認識が如何に大切であるかが、研修を重ねる毎に、深まってきています。

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06. 「テムスト森」として

2021年7月にテムスト株式会社のキャリア教育・研修事業を全面的に引き継いで「テムスト森」を設立し、現在に至ります。「個」育て支援企業として、会社を・組織を強くしていくために自分はこの会社に(組織に、個人に)、何ができるかを、一番力点を置きたいと考えています。

よく「過去と他人は変えられない」と言いますが、私はそうは思いません。傍観者的に関わっていては、相手を変えることはできないと思います。でも、どうすれば相手の利益になるか、その人の夢が叶うのか、何が相手を笑顔にするかをその人の立場になって真剣に考え提案する。という関わり方で、他人(会社・組織・個人)は十分に変わると思っています。

仕事を舞台に例えるなら、演じるのはその(会社の、組織の)人達、私自身は舞台の袖からこっそりと見守る演出家だと思っています。縁あって私の研修を受けてくれた人が「明日からこうしてみます!」と言ってくれる笑顔が、いつも私の笑顔につながります。もちろん研修を受けて終わりではなく、パートナーとしてその後の経過を見守り、じっくり関わりながらアドバイスを続けていきたいと願っています。

縁あって知り合った人の夢の実現のために、よりよい「キッカケ」を提供する ために、創った会社なので。

   

06. 「テムスト森」として

2021年7月にテムスト株式会社のキャリア教育・研修事業を全面的に引き継いで「テムスト森」を設立し、現在に至ります。「個」育て支援企業として、会社を・組織を強くしていくために自分はこの会社に(組織に、個人に)、何ができるかを、一番力点を置きたいと考えています。

よく「過去と他人は変えられない」と言いますが、私はそうは思いません。傍観者的に関わっていては、相手を変えることはできないと思います。でも、どうすれば相手の利益になるか、その人の夢が叶うのか、何が相手を笑顔にするかをその人の立場になって真剣に考え提案する。という関わり方で、他人(会社・組織・個人)は十分に変わると思っています。

仕事を舞台に例えるなら、演じるのはその(会社の、組織の)人達、私自身は舞台の袖からこっそりと見守る演出家だと思っています。縁あって私の研修を受けてくれた人が「明日からこうしてみます!」と言ってくれる笑顔が、いつも私の笑顔につながります。もちろん研修を受けて終わりではなく、パートナーとしてその後の経過を見守り、じっくり関わりながらアドバイスを続けていきたいと願っています。

縁あって知り合った人の夢の実現のために、よりよい「キッカケ」を提供する ために、創った会社なので。

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